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人生の終わりに

有史以来、全世界の日常の中で数えきれない生命が誕生し、数えきれない生命が消えていきました。
はるか昔とは言えない程度の以前までは、「生」そして「死」においても、人それぞれに受け入れてきていたものでした。
大勢の家族と共に暮らしながら、年を重ねていくのが当たり前だった時代は、寿命が近づくと、最期は自宅で医師とともにご家族が看取っていたものです。
「おじいちゃん、死んじゃったんだ……」
「人が亡くなるって、こういうことなん」
小さなお孫さんまでもが、身をもって家族との別れの感情を素直に受け入れていました。つらいながらも頑張って乗り越え、いまある状況を受け止めていたのです。
以前と比べますと、病院や老人ホームといったさまざまな施設や設備が整い、むしろ便利な環境であることが当然の世の中になっているようです。
生まれる場所も亡くなる場所も、いまはほとんどが病院の中です。
目覚ましい医療の進歩によって、大切な人と過ごす時間を長く持てるようにもなりました。
願いをかなえてくれる、まるで魔法のような技術です。
多くの便利さを手に入れたと同時に、死別による喪失の心構えができている人が、いま極端に少なくなってきているように思います。
家族にとって、身近な人の死は最も遠ざけたい出来事です。
また、自分自身の終末についても考えることをためらってしまいがちです。
私たちは、大切な人を失うことに対して何ともいえない恐怖や不安感に襲われています。
だからこそ、それらを無意識のうちに避ける行動をどうしても取ってしまうのかもしれません。
本来は素直に受け入れていた「死」に、目をふさいで先送りにしてきた結果、それは、大きな不安を抱える要因になってしまっているのです。
葬儀の事前相談や葬儀についての話を極端に嫌う方の心情は、このようなことのあらわれかもしれません。
※全葬連には葬儀の事前相談員が存在します。
 誰に相談をして良いか分からない場合、オススメです。
 ●http://www.zensoren.or.jp/preconsul/preconsul_01.html
だけれど、生きているということは必ずいつか死ぬということです。
目を背けるようなことは決してしないでほしいのです。
いつの時代であっても、身近な方との別れはつらく悲しいことに変わりはありません。
日常のなかに「死」があった頃は、誰もがその時に向き合い、自分自身と戦いながらも苦しみを乗り越えていました。
大切な人との別れは、人生で最も相手に対する感謝や愛情を感じる場面でもあります。
言い換えれば、「その人を愛しているのだ」ということを何よりも強く感じるのが「死別」なのだと思います。
身を切られるようなつらい感情を乗り越える力が、日常のなかで自然に培われてきたからこそ、われわれの宗教や葬儀文化が育まれていったのではないでしょうか。
従来の葬儀においても、どのようにして「死」を受け入れていくべきか、深く考えてきた経緯があったからこそっくりあげられてきたものだと思います。
社会環境が大きく変化していくなか、これからの葬儀も従来のルールから変化させていってもいいのかもしれない、と感じる人が増えてきたのは自然な流れなのかもしれません。
故に、想いをカタチに足し算でっくりあげる、納得できる葬儀のルールへと移りつつあるのです。
しかしながら、決して変わらないものがあります。
故人への想いです。「ありがとう」という感謝の気持ちです。
葬儀のルールは変われども、人と人の絆を紡いでいく大切さが決してなくなることはありません。

私たちの技術や医療がこれからどれだけ進歩しても、それだけでは決して人は生きていけません。
生きていくさまざまな場面で、私たちを助けてくれるのは人が人を愛する気持ちです。
そこには必ず優しさも一緒に生まれます。
葬儀のルールとは、人が人を愛する感情、優しさと愛情そのものかもしれません。

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